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http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060409/1144582846
←この続きです


こうして世界が中世のようになってから100年の月日が流れた。生産性の高い部類に属する知識労働者たちは特権階級のようになっており彼らが世界で英語を共通語としていた。もちろん彼らも母国語をしゃべれないではないが、かつてロシアの貴族が公的な場所ではフランス語を使いロシア語を馬鹿にしていたのと同様見下していた。2000年代の半ばにはすでに貧しい人々との教育格差は開き、貧しい人々がなりあがることはほぼ不可能になった。



しかし2100年代に入ってから変化がおき始めたのである。それまではただ見下されていた貧しい人々の中にも時に優秀な人材がいることが発見されたのである。逆に特権階級であるにもかかわらず彼らの産業を支えるにたるだけの頭脳を持たない子供たちが増えつつあることが問題になっていた。当初は教育に投資することで解決できる問題と見られていたが、その数は増える一方だった。というのもひとたび特権階級化してしまった彼らの中では競争原理が働くなってしまったからである。さらに一夫多妻制の影響で、優秀な遺伝子を持つが彼の最も愛する女の子供ではないがゆえに特権を享受できず野に下ったこと物が増えていたのもその原因のひとつだった。


そこで特権階級の人々は貧しいがが才能のありそうな人々に奨学金を出して教育し、その代わりに自分たちの仕事の下請けをさせ始めたのだった。これにより自分たちの労働を減らすことができるし、優秀でない自分の子を養うこともできると考えたのだった。やがて彼ら自身が直接知的労働をすることは少なくなり、優秀な非特権階級の人々を管理することが彼らの仕事になったのである。管理するだけなら優秀でない息子にも活躍の場が与えられると彼らは喜んでいた。


しかし時代はめぐる。いつしか特権階級の人々が特権を握っていることの根拠がなくなっていたのだ。いまや特権階級である人々のできることは英語が流暢にしゃべれることと優雅な時間を過ごす方法を知っているということだけになっていた。まさしくそれは革命で倒された貴族の姿そのものであった。


やがて非特権階級の人々は連帯して特権階級の人々と戦うようになった。もし特権階級側から優秀な非特権階級の人々を懐柔したのなら最悪の事態は避けられたかもしれない。しかし彼らはマスコミの株式を独占し続けようとしたし、国立大学の復活にも最後まで反対し続けた。彼らは盛んに非特権階級の連帯を傷つけようと画策したが優秀な人々はその策略を見抜き彼らがその特権を手放す気がないことを悟った。


やがて彼らはは資本蓄積を通し、連帯して会社の株式を徐々に買い集めていった。そして一社また一社と労働者によって買い取られていく企業が増えていった。同時にそれまで閉ざされていた特権を自分とその子供たちにも享受させるためにも平等化を推し進めた。所得税を増やして残っている特権階級から富を奪うとともに消費税を減らして自分の失職や子供たちの未来に備えた。地方で自給自足していた人々もこれにより教育の機会が増え、収入を得やすくなったことから再び経済活動を始め地方都市が再生していった。かつての要塞町はその維持費の高さから敬遠され廃棄されていった。そもそも平等化により治安がよくなったために必要がなくなったのである。


こうして再びよき時代がめぐってきた。人々は特権階級が残した文化を元に新しい芸術や音楽を作りだした。しかも彼らは特権階級の人々の国境を超えた文化を受け継いだためもはや名実ともに世界はひとつになろうとしていた。


人々は苦難の時代を終えた。21世紀はのろわれた時代として長くかたり続けられることになるだろう。しかしそれを乗り越えて人類は勝利するのだ。



しかし21世紀こそはわれわれの時代だ。死んだあとのことは関係がない。「人類」は勝利するだろうが、われわれは敗北するだろう。しかし感傷的になるなかれ。われわれは「時代の被害者」などではない。

『世界はそういうものなのだ!!』

私が泣こうが叫ぼうが世界は関係なく回っていく。センチメンタルになるなかれ。ただ死のみがわれらが見られる唯一の真実か・・・
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先日は横浜に出かけて写真を撮ってきました。

横浜の東口の首都高を超えたあたりはかつて
倉庫や工場、ドッグなどがあり現在でも青物市場などがあるため
開発が遅れ、最近になってようやくビルや高層マンションが
出来上がって来ました。


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 そのため古い建物の間から最新のデザインの建物が見えたり
   急に空地が開けていたりと面白い風景が広がっています。
    
 




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写真を撮ったり絵を描いたり詩を読んだりするときには
二つの異なる態度があると思います。






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 ひとつは
「そのものの美しさをべたにほめるやり方」
もう一つが
「ものの向こう側にあるあの世界を描くやり方」
です



 

在原業平の
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
などは後者のもっともすぐれた例の一つでしょう。

この歌が詠めるためには桜がなかった場合の世界の「すさまじ」さ
を知り尽くしていないと書けません。



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つまりかれは都で一番のプレイボーイでありながら
いや、だからこそ都の華やかさがいかにむなしいものであるかを
知っていたわけです。
華やかさに覆い隠される死が支配する現実を常に感じていました。






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それが新古今和歌集を過ぎたころから
べたに美しさをたたえた歌ばかりになり、やがて技巧をきそう
遊びに過ぎなくなっていく。
もはや都の華やかさが当たり前になりすぎたのでしょう。





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しかしどんなに美しいものがあっても
人間が救われることはないという立場からすれば
ただただ美しさをめでることはむなしいばかりな気がします。




 
 

どんなところにどんな暮らしぶりで生活していようと、
あの世界の真実を忘れないように、
しっかりと見つめ続けていきたいものです。
今からおよそ40年前に放送された番組に『ウルトラファイト』というのがある。
ウルトラセブンが終わってしまい、低迷期にあった円谷プロが低予算で作った番組。
テーマパークに貸し出すための安い着ぐるみなどを引っ張ってきて撮影された。
子供に媚びてないのがいいです。大人が楽しんで作っているという感じで。

かつては大人になって楽しむために年長世代からいろんなことを教えられました。
いまは「子供に夢を与えたい」などとぬかす人が多すぎるんじゃないでしょうか?
この人たちみたいにまず大人が楽しんでいるところを見せてほしいものです。

こんな大人がたくさんいれば大人になるのも悪くないかなと思えそうです。
こんな楽しいことのためなら子供達も社会を背負ってもいいと思えるかもしれない。

【ニコニコ動画】『ウルトラファイト』第99話

 20090402182830.jpg


 このあいだNHK教育をぼんやり眺めていたら、ものすごくかわいい女の子がほほ笑みながらお菓子を食べているシーンがあらわれたんですが、そこで番組が終了してしまったのでネットで検索。
 
  その結果福原遙ちゃんという10歳!!の女の子が主演の番組だと判明しました。番組名は「アイ!マイ!マイン」。  


   わずか10分の実写とアニメを複合させた実験的な番組ですが、振り付け師もperfumeの振付をしている方でアニメ制作会社も有名どころでクオリティが高い。
  
   何より福原遙ちゃんがかわいい。おそらく「ひとりでできるもん」の流れをくんでいるんだと思います。別に少女趣味はないですが非常に面白いよくできた番組だと思います。ご覧あれ。
 

第1話
 


第15話(最新)



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